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創業の想い

スタートは酪農家

私が最初に始めた事業は酪農家でした。もう50年程前のことになります。
当時、牛一頭で月1万円の利益が出ると言われました。初任給3万円の時代です。十頭飼えば月10万円の稼ぎになる、そんな単純な計算と両親が酪農をしているという理由で酪農を始めました。 開業当初は牛を死なせてしまうこともありましたが、経験を糧に勉強をし、5~6年目には同業が目を見張る程の搾乳量を得るまでになり、開業当時に借りた借金も全て返済し、利益も出ていました。

酪農家から飼料屋へ

酪農は順調でしたが、狭い土地で周りに住宅がどんどん建ち始め、環境的に牧場経営を成長させるのは無理だと思い始めた頃、東京の飼料販売会社から酪農の経験を生かして手伝ってほしいと声をかけられました。
当時の私に雇われるという考えはありませんでしたので、月の半分は手伝いをするから、もう半分は岡山で自分のしたいことするという契約で手伝いを始めました。それからは、東京の会社の得意先をまわって、飼料の管理方法や、飼料をいかに上手に使うかをアドバイザーみたいな形で牧場に伝えていました。
それから3年が経ち、岡山での飼料販売がどうにか食える見通しが立ったのと、元々3年という約束だったことから、東京の会社を退職させてもらって、本格的に岡山での飼料販売をスタートしました。
酪農家をやめて飼料屋を始めようと思った時、同じ酪農家だった友人から「商売を始めるなら、『強い商売』をしろ」と言われました。それは今でも覚えています。今の様に、お客さんに頭を下げて仕事もらうのではなく、困っていることに対してアドバイスしながら、お客さんが望み、こちらが売りたい物を売っていくというスタイルは、その言葉がきっかけだった様に思います。

有限会社ノガミ設立

本格的に飼料販売を始めたのは35、6歳の頃。
経験もあったので、立ち上げは順調でしたが、仕入先には苦労しました。与信の問題もあるし、売るより買う方がしんどかったです。それでも、「とりあえず前向いて走れ」でがんばりました。
創業当時は、今と比べて酪農家が多かったので、営業先には苦労しませんでした。玉野近辺もそうですが、西大寺とか、牛窓とか、少し北に上がって足守とか。お客さんがどんどん増えて、お客さんと色んな話をするのは楽しかったし、面白かった。
お客さんも僕には本音を言ってくれるし、私達もお客さんに言いたいこと言っているし。だから、お客さんを「お客」と思ったことはあまりないです。「仲間」だと思っているから。ある意味この仕事は「酪農」の延長線上でもあると思います。

阪神淡路大震災 コンテナ配送開始

社名を野上飼料に変更して、営業マン増えてきました。最初は続かず苦労しましたが、その内経験者が入社してくれて、販売エリアも岡山、広島を中心に広がり、関西支店を開設するまでになりました。
神戸の事務所を開設した約1年後に、阪神淡路大震災がありました。1995年の事です。
当時、1台だけあったコンテナヘッドが使えなくなり、困ったのが配送です。神戸の港に届いた飼料をお客さんの所まで運んでくれる運送屋さんがいない。神戸が壊滅的だから当然です。頼めたとしてもものすごく高くて、そんなお金出せないという状態。
そこで、コンテナヘッドを増やして、自社で運ぶことにしました。これが現在の自社コンテナ車で運ぶ体制のきっかけになりました。

新たな挑戦 直接貿易開始

2006年3月、直接貿易を開始しました。
商社を挟んで貿易取引を行う場合、輸出入にともなう貿易実務の代行してもらえたり、貿易にともなうリスク回避(為替リスク等)などメリットが多い。しかしその一方で、手数料が発生し、高く仕入れて高く売ることしかできません。
直接貿易をする様になれば、安く仕入れ、安く販売することができる。そうなれば、お客さんはもちろん、うちにとってもプラスになる。その思いで、直接貿易に踏み切りました。
直接貿易への課題は山積みでした。まず英語喋れない。これは英語の話せる営業マンを雇うことで解決しました。資金の問題もありました。商社を間に挟んでいた頃は、月末に締めて、2ヶ月後に支払いでよかったのが、直接貿易だと品物が日本に来る間に、お客さんからお金をいただいていない時点で先払いしなければいけない。
大変な挑戦でしたが、課題一つずつ解決して、信用を築いていきました。
おかげ様で、直接貿易を始めてもうすぐ15年になりますが、今もずっと続けています。

二代目 岡本社長就任

60歳になった頃、現社長の岡本が跡継ぎとして入社してきました。
岡本は私と違って、飼料とは無縁の業界から飛び込んできました。私は多少なりとも酪農の経験があったが彼にはそれがない。正直大変だったと思います。それでも彼はこの仕事を面白いと感じてくれたのか、真面目に勉強して、お客さんや取引先の前で的確なアドバイスをしています。お客さんや取引先にも恵まれていたと思います。
岡本が社長に就任してから、会社は毎年着実に成長し続けています。
この10年で日本の酪農家は減少しました。岡山県に限っても、500件あった酪農家が、今は200件足らずです。商売としては競争が激しくなってきています。そんな状況下にありながら、会社から離れるお客さんはほとんどいません。岡本をはじめ、営業スタッフや社員皆の努力の賜物だと感じています。

共に成長を続ける企業でありたい

創業から約50年。岡山、広島、四国含めて兵庫から向こうも全部含めて大きな牧場がうちと取引していただいています。創業当初からずっと頼りにして下さっているお客様もいらっしゃいます。お客さんからお客さんを紹介していただくこともあります。有り難いことです。
野上飼料には、お客さんに供給不安を与えず営業する責任があると考えています。そのためには「大きく、強い会社である」必要があると考えます。
大きくならなければ仕入れる量・扱える量は増えません。逆に大きくなれば扱える量が多くなり有利に買えるし、お客さんに少しでも安くていいものを提供できる。大きくなれば情報量も増えてくるし、その情報をお客さんに提供する機会も増えてくる。小さいというのは、全てにおいてお客さんのサービスにつながってこない。
野上飼料が大きくなるのは、お客さんに対しての『恩返し』だと。そういう気持ちは今でもあります。
これから先、10年後20年後を見据えて、次世代の育成にも目を向けつつ、お客さんと共に成長し続ける企業でありたいと思います。

野上飼料